こんばんは~~\(^O^)/
前回、パーク&ライドのこと、街路のことや車と人との分離について書きました。
街の活性化には人が集うことが欠かせないことは誰もが思うところですが、以前『人間のための街路』という書籍を読んだことを思い出しました。
現代の都市計画では、車中心の街づくりになっているので、街に人が集まることより車の通行を優先しているので、便利ではありますが活気が損なわれる原因になっていると思っています。
とは言え、地方で生活する私にとっては、車の運転が生活の一部になっていますので、道路が車両のためにあることが当たり前の感覚になってしまっています。
ただ、建築をどうやって魅力的なものにするかを考えた場合、建物単体で考えたり、ひとつの敷地では完結させることはできず、どうしても街や近隣コミュニティとの関係性を取り入れることを考えざるを得ませんでした。
私は幼い頃、家の近所を散策するのが大好きでした。
道幅3メートルに満たない道を、我が物顔で歩いたり、友人と石を蹴りながら歩いたり、「道」は単なる「道」ではなく、自分たちの遊び場でもありました。
今でもそういう「道」を見かけるとワクワクしてしまいます。
「路地からの街づくり」という書籍があります。
その本によると、「路地」の魅力とは、
①ヒューマンスケール
人が歩いて立ち止まり、話し、そして子供達がちょっとした遊びを行うのに適している。
人々の行為を育むヒューマンスケールである。
人が歩いて立ち止まり、話し、そして子供達がちょっとした遊びを行うのに適している。
人々の行為を育むヒューマンスケールである。
②空間的しつらえ=相互編纂(へんさん)的空間行為の歴史的成果としての路地
路地には、無作為(非計画)に見える行為が時間を経て積み重なり、魅力的な設えが創り上げられ、しばしば顕れる。
それは、相互編纂的空間行為が蓄積した結果と言い換えることができる。
例えば、路地を囲む建築物の意匠やかたち、格子、屋根瓦、適度な間口とその連続。
そして路地の石畳、化粧の施された舗装、さらに路地空間に出される縁台、長椅子、植木鉢、提灯、など、、、。
路地には、無作為(非計画)に見える行為が時間を経て積み重なり、魅力的な設えが創り上げられ、しばしば顕れる。
それは、相互編纂的空間行為が蓄積した結果と言い換えることができる。
例えば、路地を囲む建築物の意匠やかたち、格子、屋根瓦、適度な間口とその連続。
そして路地の石畳、化粧の施された舗装、さらに路地空間に出される縁台、長椅子、植木鉢、提灯、など、、、。
③都市空間における生活空間としての路地空間
①②とも関連するが、路地はそこで暮らす人々が主人公となる都市空間における生活世界がある。
路地がある「まち」には、しばしば迷路のようであり、往来を通り過ぎるものにとっては、路地の先に何があるか直ちに知り得ない。
路地は、その「まち」その路地を知る者しかその魅力を与えない。路地は誰でも行ける場所ではなく、誰かしか行けない場所、誰かのための舞台装置である。
私が学生時代に初めてのが意外旅行で訪れたスペインのトレドという都市や、バルセロナでも歩いた名も知らない街路。
高岡でも金屋町の石畳通りなど、人を中心とした街路には、魅力的な人々のアクティビティがあります。
③で説明されている「生活空間」としての『路地空間』が、そのままそこに顕れていることがわかります。
街づくり、地域コミュニティを考えたとき、集中駐車場と路地空間をセットで考えて、交通の利と生活の魅力をミックスさせれば、何か魅力的なコミュニティが生まれるかもしれないと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました!!(^o^)/
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